社会心理学 ー自己と自尊心の仕組みを掘り下げるー

今回は、社会心理学自分とは何か?
誰しもが一度は疑問に想うテーマかもしれません。

自己の日頃の生活で漠然としてる「自己」への理解に焦点を当てたいと思います。

自分を客観的に評価したい。

なぜ、他人との比較を常に意識するのか?


今回はその自己について、学習記録を兼ねてまとめていきたいと思います。

自己とは? ー自己の定義と成り立ちー

自己には2種類あると言われ、それは「自己概念」と「自尊感情」になります。

 

● 自己概念

自分はこういう人間(所属、性格、嗜好など) という認識。

20答法や自己開示によって、自己を再認識することができる
(自分はー。という項目を20個作る作業法)

自尊感情

自分を尊重したいという感情(下記詳細)

こう定義されると、少しはっきりしてくる感じですね。

まず「自己概念」の自覚があって、その自己を尊重したい「自尊感情」がある。
そうやって自己は成り立ってるということなのでしょう。

では、なぜ我々はこれほどに自尊感情を重視するのでしょうか。
心理学では以下の2つの理論が言われています。

自尊心が必要な理由

● 存在脅威管理理論

人は脳の進化にともなって、自分の老化や死について自覚できるようになった。

いつか衰える自己」に対抗するために、普遍的な自分の価値を証明したい感情(=自尊感情)が生まれたという説。

● ソシオメーター理論

自分が属している集団内での存在意義を確認するために、自尊感情が必要という理論。

人は生存するために、集団内での助け合いが必須だったが、そのためには自分が承認されている必要がある。
助け合いを受けるためには、集団で認められていることが必要で、それを敏感に感じ取るためにかんじょうが必要。

このように、長い進化の歴史で培われた自尊心は人にとって切っても切り離せない存在のようです。

自尊心を保つのに役立つ心理テクニック

ではこの自尊感情と、我々はどのように付き合っていけば良いでしょうか。
その疑問に対して、まず人間の自尊心の維持システムについて考えてみたいと思います。

人間の自尊心維持のシステム

実は、人には自尊心を保つための「システム」が備わっていると言われています。

具体的には、SEM:自己評価維持モデル(Baumeister)や、Wilson & Ross などによって提唱されています。

自尊心維持のシステムとは?

● 比較過程

まず「他人」もしくは「過去の自分」と、課題の遂行レベル(仕事や学業、趣味、対人能力など)を比較する。

その結果によって、自尊心が上下する(劣っていれば劣等感を感じる、など)

● 反映過程

比較過程を受けて、自尊心を調整するように働く過程。

他人との心理的距離」「課題の遂行レベル」「課題への重要度の認識度合い」を調整しながら、自尊心をコントロールしていく

では実際には、どのようにこのモデルは機能するのでしょうか?
例えばこんなケースです。

自尊心維持システムの応用:会社の同僚との関係の例

● 比較過程

会社において、同僚と比べて自分の仕事のスキルが劣っていると実感。

● 反映過程

まず、自尊心を保つために相手と距離を取る(心理的距離を離す
もしくは、スキルを上げようと勉強する(遂行レベルを上げる)。

そのどちらも難しい場合(いつも接するから距離を取れない、スキルもすぐには上がらない) 、
「そもそも今の仕事は自分にとってそこまで重要じゃないのでは?」と見つめ直してみる
課題の重要度を下げる

つまり、他人との比較で自尊心が脅威に曝された場合には、心理的距離・遂行レベル・課題の重要度の点で自尊心を調整できるようです。

とはいえ、こういった調整をやっていくには、多方面での能力開発が必要になってくると感じます。
そこで以下では、「内在化」という心理現象も紹介したいと思います。

人間の潜在能力の一つである「内在化」とは?

一般的に我々は、内面が外面に出ると考えます。
例えば、慎重な性格だと自覚すればそのように行動し、他者評価も「慎重な人」となっていきやすい。

しかしその逆に、外面 → 内面の順序で人格が作られる事もあり、これは内在化と言われています。
例えばこんなケースです。

内在化の例
  • もともと内向的な性格だと思っていたが、接客系の仕事をし始めてから次第に外向性が身につく。
  • リーダシップは自分にあまりないと思っていたが、後輩が入ってきて教育係を始めてから、統率力が付いてきた

 

内在化は公的な条件(大勢を前に、匿名でない条件)で起きやすいと言われます。
逆に、私的な条件(プライバシーが守られている条件)では発生しにくいと言われます。

ごまかしの効かない公的な条件下では、「自分に裏表がないよう振る舞いたい」と思う心理が働き、自己形成への強い圧力になっていきます。

そしてさらに飛躍すると、
「何かになったつもり」で行動をすると、それが内面にも現れてくるという点です。

よくプロ意識を持って仕事をする姿勢は賞賛されますが、これは内在化と似たニュアンスと言えます。
例えば「会社組織の調整役として」「アートの表現者として」「チームを引っ張るリーダーとして」という具合に役割を個人が自覚し、そのように振る舞うことで、それらしくなっていく。ー これは一般的に見られやすい現象だと思います。

内在化のポイント

● 内在化の仕組み

公的な条件(人前で匿名性がない)で行った振る舞いが、次第に自分の人格として自覚される

● 内在化の応用

自分が「何かの存在になったつもり」で行動すると、新たな一面を開拓できる可能性がある
→ これは人間の潜在能力の一つと言える

うつは甘え? ー 実体験に基づく考察:甘えの基準は自分で引いて良い ー

よく、うつ病もしくはうつ的で大変な状態の方から「これは甘えなのか」「甘えとそうじゃないことの境界がわからない」という言葉を聞く。

とても悲痛な心の叫びだ。
自分もメンタル疾患と休職を経験した身として大変共感できる。

自分は30代だが、自分より若い人はもっと大変なのだろう。
少ない人生経験で、この複雑で閉塞感が増した社会で生きていかなくてはならない
SNSでも、彼らの心の叫びが飛び交っている。
こういう状況で、メンタル疾患の経験者の立場から自分なりで考えをまとめようと思った。

タイトルにもあるとおり、「甘えかどうかの境界は自分基準で良い」
という事。

その理由を結論から言うと、
自分の人生経歴を一番よく知っているのは、自分だから」と言う点である。

そもそも「甘え」とは?

甘えとは何か?
よく言われるケースとしてはこんなところだろう。

  • 周りも皆頑張っているのに、自分だけ権利を主張するのは「甘え」だ
  • こんなところで妥協してたらこの先やっていけない。それは「甘え」だ
  • 自分で自分を甘やかすな。そのような考えでは成長できない

自分も10代・20代の頃よく周りから言われていた。
そういう言葉に対して今なら、知らんがな。と言いたい。
そして、
お前はそれを堂々と言えるぐらい立派な人間なのかとも言いたい。

しかし若い当時は自分で抱え込み、むしろ自分自身にも「甘えるな」と言い聞かせていたものだった。
卑怯な人間や、都合の良い人間がいること、価値観の押し付けが人権侵害であることを知らなかった。
純粋すぎたのだ。

「甘え」など曖昧な概念だ。人によって定義も違う。
そのようなあやふやな考えで、自分を苦しめる必要などないのだ。

自分を甘やかすのも必要な時だ。

話を戻そう。
「自分の人生経歴を一番よく知っているのは、自分だから」甘えは不要だという話。

当たり前だが、自分の人生経歴は、自分の記憶に刻み込まれている。
他人が自分も人生経歴を100%把握するのは無理なのは明らか。
だから、過去に受けた傷・トラウマが原因で自分を甘やかすことがあっても問題ない。
むしろそういう時期も必要だ。

実際、甘えと他人に言われたら頭にくると思う。
なぜなら、
自分の何を知っているんだ

と思うからだ。

その感覚は正しい。
自分の人生経歴や辛い感情を理解しようとせず、土足に踏み込んでくる暴挙を許してはいけない

不快な相手にどう対処していけば良いか

それでも干渉してくる他人はいるかもしれない。
そういう悪質な相手とは、距離をおくしかない。

そして、自分に共感してくれる人、賛同してくれる人を大切にした方が良いと思う。
そうすることで、力も湧いてくるし、パフォーマンスも発揮できるはず。

自分をわかってくれる人のために頑張る。これで良いのだ。
そう言う時は、甘えかどうかは関係なくなる。
つまり、周りに奉仕したいという気持ちになるはずだ。力も湧いてくる。

こうやって立ち直れるのではないだろうか?
自分も20代後半から、付き合う人を選ぶことは積極的にやってきた。
だいぶ生きやすくなってきたと思っている。

クセのある人とは一時的に仕方なくても、長期的な付き合いは不可能だ。
残念ながら、彼らの思考は良心的ではない。
他人を騙す、搾取する、そういう姿勢がメインにあることを疑わなくてはならない
本人に悪気があれば当然だが、悪気がないケースもある。
そう見抜いて、付き合う人間を選んでいくべきだ。

まとめ:信頼関係を結んでいる相手のために頑張る

思いの丈を話してみたが、自分の最大の理解者は自分。
だから、甘えの基準は自分で引いて良いということだ。

そして、他人のために頑張るかどうかは、信頼関係がベースにある。
平気で自分を罵ったり、イジったりする人間なんかのために、頑張る必要はない。

【関東ドライブ旅行】茨城 日立~北茨城

宿泊(久慈サンピア日立)

ホテルは、久慈サンピア日立に宿泊。
昨日の鹿島~大洗旅行後、やや北上した日立市みなと町にあるホテル。


2年前にリニューアルされたばかりの宿らしく、真新しい設備でゆったりした良い時間を過ごす。
ホテルの外観も内観も、とても気に入りました。

https://www.jalan.net/yad367282/

室内もゆったり。ツインしか空いて無かったですが、県民割で格安に。

まだまだ新しいホテルなので、口コミの数も少なかった。
ただ不明点を問い合わせた時の電話対応が良かったので、このホテルにして正解でした。

宿はくつろげること、につきますね。
早めの16時にチェックインして、大浴場に入りつつ旅の疲れをいやしました。
夕食後に勉強を1時間ほど済ませて、就寝。

朝食。
このあと、もちろんご飯とお味噌汁も配膳されました。
全体的にあっさりしたメニューで健康的な朝食に大満足。

湯楽の里 with ランナーズスパ

チェックアウト後、若干北上し、日帰り温泉の「湯楽の里」に滞在。

湯楽の里https://www.yurakirari.com/

ここの見どころは、露天風呂から見える海と浜辺の絶景。https://www.yurakirari.com/yura/hitachi/spa.html

温泉なので写真はなしですが、眼前に広がる太平洋の景観に圧倒されました。
お風呂に入ると、ちょうど視線の中央に海原の地平線が広がります。

空の爽やかな青と、海原の深みのある青のコントラストが芸術的で、まるで大迫力の映像作品を見終わった後のような満足感を感じました。
入浴料1,000円にも満たない金額でこの絶景はお得すぎましたw

そしてもう一つ。
この温泉ではランナーズスパといって、日中なら3時間まで海をランニングすることができます。

ランニングと言っても、特に定められたコースはなく、散歩してもOKです。
今回、生まれて初めて浜辺をランニングしました。

湯楽の里から海岸方面に出たら、左手側に、つまり北に向かってランニング。

さわやかな潮風に吹かれながら、散歩とランニングを交互に。
海を眺めながら贅沢に時間を使う。

浜辺ランニングは、海の近くが良いです。

砂に海水がしみ込んでちょうどよい硬さになるので、
アスファルトよりも足に優しく走りやすいです。

数十分進むと、岩壁にぶつかるのでそこまで進みます。
行きは向かい風だったので、散歩メインに。帰りは追い風だったのでランニングメインに。

ランチは海を眺めながら、ハンバーガ

ランチは、湯楽の里が面している海岸からすぐ近くにあるビーチバーガーで。
https://tabelog.com/ibaraki/A0805/A080501/8012326/

最初は湯楽の里でランチを予定していましたが、浜辺を散歩していてふと見つけたこの店が気になって入店。

店の注文口の横から見える景色。
部屋に飾りたい。。

平日ランチセットを注文。
テイクアウトにして、近くのベンチに座って海を眺めながらのハンバーガーは最高でした。

旅の面白さは、こういう所にあるのでしょうね。
旅程はそれなりに立てるけど、予定外のこともやってみる。
体験の幅が広がります。

バーガーは程よい硬さで、牛肉のうま味をかみしめながら、召し上がります。

黒バンスが有名らしいです。
おいしかった。。
良い具合に甘みと弾力を感じるパンで、ソースの酸味と絡まる。
ソースは酸味だけでなく、クリーミーさもあるので、味をまろやかに仕上げてくれます。

さらに、潮風のほのかな香りが、食材の味を引き立ててくれます。
潮風は天然の香味料です。

ドリンクはストロベリーシェイク
まだまだ暑い時期なので、ランニングで熱くなった体をクールダウンします。

平日ランチは、バーガー+ポテト+ドリンクで1,000円未満ですが、海を眺めながら優雅なひと時を過ごせました。
贅沢というのは、何もお金をかけなくても、過ごし方で感じられるものですね。

北上しながら帰路に

湯楽の里を出たら、帰路につきます。
実家へ帰る道中だったので、北上。

245号線を北上し、日立バイパス(6号線)を北上。

日立バイパスでは、ちょうど海が視界に入ります。

日が暮れる前に、海岸ドライブができました。

この遠くまで続いている感じ。好きなんですよね~

【うつからの社会復帰】努力依存症の根本治療:「捉え方」と「環境」を変えること

前回の続きです。
前回までに、メンタル疾患において、「努力依存症」(勝手にこちらで定義)が治療や社会復帰の妨げになっている、という話をしてきました。
そして、健全な社会とのつながりを持ちながら、癒やしていくことについて話しました。

 

今回は、根本問題である「努力依存症」の対応策について、語っていきたいと思います。
無理せずにはいられないほど、自分を追い込んでしまう「努力依存症」。
これを治すには、「捉え方」と「環境」を変える事なのと思います。

捉え方を変える:リフレイミング

根本対策の一つ目はリフレイミングです。
これは、自分の認知(=捉え方)を変える心理手法。

リフレイミングによって、
自分を苦しめている思い込みを客観的に見つめて、別の考え方を取り入れることができるようになります。
詳細は別機会で取り上げたいと思いますが、ポイントはこんなところ。

  • 今「囚われている思考」を明らかにする
  • 思考で「事実」と「思い込み」を区別する
  • 事実に基づいて可能性を探り、思い込みを排除して別の可能性を考える

以下で例を書きます。

修正前の認知(=捉え方)

  • 「無理を続けないと認められない」
  • 「認められない自分はどんな扱いを受けても仕方がない」

修正後の認知(=捉え方)

  • 「無理をしなくても、認められることもある」
  • 「無理をしないほうがパフォーマンスを発揮できる」
  • 「仕事で必ずしも今すぐ、認められる必要はない」
  • 「将来的に認められるように、今は積み重ねができている」
  • 「今は認められるかどうかは、一旦保留にして、何か別の価値を身につけよう」

 

本当は、「自分を苦しめるほどの努力を続けなくては、生きていけない」という思い込みから、解放されたいはずです。
リフレイミングにより、自分を現状の苦しみから解放していくことができます。

そして、事実と妄想を区別し、自分の可能性に思いを馳せていくのです。

環境を変える。メリットの絶大さと、段階的環境変更

ただ今所属している「環境」が悪いと、リフレイミングは効果は発揮しにくいかもしれません。
今いる環境が不適切なら、「距離を置く」もしくは「離れる」こと

環境を変える絶大な効果

ブラック企業やブラック職場で働いているのなら、配置転換や転職の検討が必要になります。
明らかに不当な扱いを受けて、改善の余地がないのならば、即時的に環境を変えても良いでしょう。

僕自身も、ブラック職場でパワハラを受け、仕事も人格も全否定されました。
職場では無能認定をされ、居場所がなくなり、転職を余儀なくされた経験があります。
しかし、転職しても無能扱いを受けることはありませんでした。
すぐに昇進し、仕事も認められたのです。

この時、環境を変えることの絶大な効果を実感しました。
環境を変えるメリットはたくさんあります。

  • 悪質な人間関係を断ち切れる
  • 健全な人間関係を構築できる
  • 自分に対する見方が変わる
  • チャレンジ精神が高まる
  • 転職など環境を変えることそのものが、経験値になる

すぐにチャレンジするのが難しいのなら、段階的な変更を

もちろん、すぐに環境を変えるのも難しいと思います。
とてもエネルギーを使いますからね。
失敗する可能性もあるから、準備期間も必要でしょう。

そういう場合は、少しづつ「外の環境の空気を入れること」
具体的には、外部の勉強会に参加してみる。有意義そうなコミュニティーに入ってみる。

自分もそれをやって、少しづつ転職への機運が高まりました。
自分の中で、環境を変えることのデメリットよりメリットが上回れれば、動くことができます
そういう、行動ができるボーダーラインを越えるまでは無理に動かず、模索する期間があっても良いでしょう。

そして、そういう模索時期は有意義です。
なぜなら、自分の関心は内ではなく外に向いています。
「自分はダメな人間だ」「どこに行っても通用しない」と自分を卑下しないようにするためには、外へ関心を向けることです。

こういう模索時期にリフレイミングを習慣的にやってみるのも良いでしょう。
新しい可能性に気づけるかもしれません。
もしかしたら、今いる環境で思わぬ成果につながるかもしれません。

【うつからの社会復帰】病気を受け入れ、自分を癒やす

今回は、前回を踏まえて
「どうすれば良いか」「どう考えれば良いか」について語っていきたいと思います。

まず大切なのは、「休養」と「癒されること」

努力依存症になるまで、心の状態が深刻化していれば、とにもかくにも休養が必要です。

ゆっくり休み、癒されること。

しかし、休むだけでは効果は小さいと感じます。
同時に、これまでの心の傷の蓄積を癒す必要もあるのです。

どのぐらいの期間休むべきかは、自分の心の闇の深刻さと比例するのだと思います。
体調が良くなっても、心の闇が根深いのならば、長い休養が必要だと思っています。

もしかしたら、うつ病などの精神疾患が発病しやすいのは、心の傷が十分に癒されないまま、社会復帰をして(もしくは急かされて)しまうことが原因なのかもしれません。

疲れを癒すには方法は2つ。自分で癒す方法と、他人の助けを借りる事です。
その点について書いていきたいと思います。

自分で癒す

メンタル疾患というのは、自分が無理を続けないと不安で仕方ない心理状態になるほど、追い詰められた証拠です。
長期間休んでも文句ないと思うことで、病気を受け入れていきます。

加えて、自分を癒す環境を整えることも必要になってきます。
一つは趣味に取り組んでみることですが、症状的に難易度が高い場合もあると思います。
そういう時は、逆に「やりたくないことをやめる」のも良いでしょう。

例えば、

  • 付き合いたくない知り合いと疎遠にする
  • 毎日のルーティンで負担になっていることをやめる

などなど

やりたくない事を止めることで、エネルギーも充電されやすいです。

他人の助けを借りる

もう一つは、他人との人間関係の中で癒される事です。
手段は色々あります。

  • カウンセリング
  • 自助会(最近ではオンライン自助会も増えている)
  • デイケアやリワーク
  • 勉強会のコミュニティ

自分も仕事以外での人とのつながりを構築しています。
医療機関(通院先、デイケア)、信頼できる友人との繋がり、勉強会のコミュニティなどなど。

自分の状況をある程度カミングアウトするのも良い手段かもしれません。
それによって、支援の手を伸ばしてくれる方にも出会ったことがあります。
それは「甘え」とか思わない方がいいですから。

努力依存症による「焦燥感」の正体と対策

よく、うつ病の方は休むと焦燥感に駆られると言われます。
自分も体験しているので気持ちはよく分かります。

そう思ってしまうのは、
必死で努力し続けることが自分の最大の取り柄なのに、それができなくなるからだと思うのです。
これは、努力依存症が生み出しているとも言えます。

焦燥感を減らすための考え方を紹介したいと思います。

現状を肯定する

過去を変えられないのは明らかですが、そう思ってもなかなか難しいですよね。
そこで、「現状を肯定する」「現状で良い」と考えること。

事実、メンタル休職になるほど頑張ってきたのですから、その経験の中に価値のあるものを見出していくのです。
実際、色々なことをやってきたと思います。
経験を振り返って、「これだけやってきたのだから、休んで良い」と思ってみる事です。

ボランティア活動に参加する

これは自分も実践した事ですが、ボランティア活動もおすすめできます。

焦燥感を感じるのは、社会との繋がりが断たれ、自分の能力を活かす機会が得られないことで起きると思います。
ボランティアなら無償なので、仕事ほどの責任を背負う必要はなく、感謝もされやすくなります。

メリットは数多くあります。

  • ボランティアは、仕事をしていないからこそ、できる活動である点
  • 社会勉強、経験値になる
  • 自分が社会の役に立っている実感が得られる
  • 生活にメリハリが付く

実際、ボランティア活動を始めたことで焦燥感も薄れてきました。
前に進んでいるという感覚が得られたと感じています。

最後に

自分自身もこのような方法で、効果的に治療を進められたと感じています。
その上で、前回でも話した根本問題 ー つまり、自分を追い込んでしまう事 ー について、思考法の対策を話していきたいと思います。

【うつの心理】 なぜ頑張りすぎてしまうのか? 「努力依存症」の正体と闇を語る

うつなどの精神疾患になりやすい方というのは、頑張りすぎてしまう性格が影響するとよくと言われます。
一般的には「無理をしないこと」「しっかり休みながら活動すること」が推奨されています。

しかし、そういった表面的な方法では解決できない「根深さ」があると感じます。
これは、僕自身が精神疾患を経験していることもあり、その実体験から「うつの闇」に焦点を当てて話していきたいと思います。 

「無理をしない」「頑張りすぎない」では、解決しない訳

うつ病になりやすい人には、「頑張り屋」が多いと聞きます。
ネットやSNSでも、自重したいのについ無理をしてしまい、自分を追い込んで辛くなってしまうというケースをよく耳にします。

仕事や家事などで、自分を必要以上に追い込み、疲弊して、発病してしまう。
実際、自分もよく「無理をしすぎないように」と多く言われてきましたが、頑張らずにはいられない状況でした。

自分の実体験的にも、
「頑張りすぎないように」と言われてもそれができない、根深い理由が本人にはあると思うのです。

「無理を続けないと認められない環境」に長く居たから

頑張りすぎる理由はズバリ、
「無理を続けないと認められない環境に長く居たから」だと思うのです。
人間の認知(=捉え方は環境によって形作られていきます

例えば、自分が尊重される環境にいれば、自由に発言をして良いと思えるはずです。
自分に危害を加える人間がいない環境では、自分も開放的になって、創造性を発揮することもできます。

しかし、自分に敵意や侮蔑の目が向けられている環境ではどうでしょうか。
「自分の境遇に共感してくれる人はいない」「救いを求めても助けてはもらえない」と考え始めてしまうと思うのです。
さらに、周りからこんな事を言われ続けたのではないでしょうか。

  • 「へこたれずに頑張れ」
  • 「結果を出して見返すしかない」
  • 「この程度で折れる人間は、社会で必要とされない」

大体、こういうことは本当の挫折を知らない大人が言ってきます
自分自身は、運よく精神疾患を経験していなかったり、
自身の成功のほとんどが自分の頑張りの結果と思い込み、周りにも努力を強要したがる勘違い人間たち。
勉強不足と言ってやりたいです。

少し脱線しましたが、
こういう環境では、自分を追い込む姿勢は形作られてしまいます。

自分を追い込む「努力依存症」の闇

悪質な環境に長くいればいるほど、自分は無理を続けないと、ひどい扱いを受けるに違いない。
だから、
自分の尊厳を守るために、イジメられる可能性を少しでも減らすために、追い込んで無理を続けてしまうのです。

問題は基本的に、子供時代の「環境」にある

これはどういう事かというと、
子供時代に、家庭環境や学校・部活環境などに問題があった場合に、過剰努力の心理が生まれやすいと思うのです。
例えばこういった具合です。

  • 家庭で充分に愛情を受けていない
    (虐待はもちろんのこと、親が自分の悩みに共感してくれない、自分に対する態度が侮辱的、など)
  • 学校や部活でいじめに遭っている
  • 先生も助けてくれない
「周りを見返すことでしか、自尊心を守れない」思い込み

思春期になれば「恥」の感情も強くなっていきます。
周りに助けを求めることが、恥だと勘違いし、甘えと誤認してしまう

特に日本社会は、最近は良くなってきましたが、
自分の問題は自力で解決できないのは、「甘え」「情けない」という圧力がかかります。
知識が発展途上な子供にとっては、それが全てになってしまうのです。

子供時代は狭い世界です。
学校と家の往復で、もしその環境に「救い」がなければ、自分で頑張るしかないと思ってしまう。
つまり、自分の尊厳が保障されない前提で頑張るしかない。状況になってしまいやすいのです。

自分の尊厳が踏み躙られる恐怖というのは、大人でも計り知れない。
ましてや子供の場合、そこから脱するのもはるかに難しい。
「逃げる」ことの有効性は学校の授業で教えてくれません

追い詰められた時、「精神論」が登場してしまいます。
問題から逃げずに、己の忍耐で必死に頑張って、周りを見返すしかなくなってしまうのです。

他人に傷つけられるなら、自分で自分を追い込んだ方がマシ

加えて、周りへの罪悪感も拍車をかけます。
つまり、弱い立場になってしまうと、学校や部活でいじめやハラスメントに遭い、でも自分が悪いと思ってしまう。
そうするうちに、
「無能な自分は周りに尽くさなくてはならない」「自分を追い込まないことが周りに失礼」とまで思ってしまいます。
これも頑張りすぎる理由です。

これは自分の実体験で得た感覚ですが、
自尊心を破壊されるより、自分を追い込んで無理を続ける方が遥かに楽です。
狂ったように頑張ってしまうのも、心の防御反応。

自分が「後悔」したくないから、無理をする

「無理を続ける」ことで、一種の安心が得られます。
なぜなら、
これだけ追い込んでいれば、辛い現実を突きつけられ時の覚悟ができるから。

余力を残して努力をしたところで、自尊心が破壊されることがあれば、とてつもなく後悔する。
「もっと頑張っていれば、こんな情けない思いをしなくて済んだのに」

これなのです。
これを実体験で学習してしまっているのです。

健康を害しても、頑張りまくって自尊心が保てるなら、それで良い
うつ病などの精神疾患になってしまう方は、そのぐらい強烈な闇を抱えているのです。

 

私はこの状態を努力依存症と定義しています。
努力依存症にかかるほど、無理をし続けないと不安で仕方なくなる
自分を追い込むのをやめると、自尊心が脅威に晒される。
だから、頑張り続けなくてはいけないのです。

ここまで来てしまうと、深刻な状態になってしまいます。
当然、長期的に無理を続ければ心身を壊してしまう。
しかし分かっていても、無理をやめられないだけの理由があるのです。
そこで、これまでに説明した根本的な原因を踏まえた上で、考えていることを次回以降話したいと思います。

【うつの心理】 なぜ頑張りすぎてしまうのか? 「努力依存症」の正体と闇を語る

うつなどの精神疾患になりやすい方というのは、頑張りすぎてしまう性格が影響するとよくと言われます。
一般的には「無理をしないこと」「しっかり休みながら活動すること」が推奨されています。

しかし、そういった表面的な方法では解決できない「根深さ」があると感じます。
これは、僕自身が精神疾患を経験していることもあり、その実体験から「うつの闇」に焦点を当てて話していきたいと思います。 

「無理をしない」「頑張りすぎない」では、解決しない訳

うつ病になりやすい人には、「頑張り屋」が多いと聞きます。
ネットやSNSでも、自重したいのについ無理をしてしまい、自分を追い込んで辛くなってしまうというケースをよく耳にします。

仕事や家事などで、自分を必要以上に追い込み、疲弊して、発病してしまう。
実際、自分もよく「無理をしすぎないように」と多く言われてきましたが、頑張らずにはいられない状況でした。

自分の実体験的にも、
「頑張りすぎないように」と言われてもそれができない、根深い理由が本人にはあると思うのです。

「無理を続けないと認められない環境」に長く居たから

頑張りすぎる理由はズバリ、
「無理を続けないと認められない環境に長く居たから」だと思うのです。
人間の認知(=捉え方は環境によって形作られていきます

例えば、自分が尊重される環境にいれば、自由に発言をして良いと思えるはずです。
自分に危害を加える人間がいない環境では、自分も開放的になって、創造性を発揮することもできます。

しかし、自分に敵意や侮蔑の目が向けられている環境ではどうでしょうか。
「自分の境遇に共感してくれる人はいない」「救いを求めても助けてはもらえない」と考え始めてしまうと思うのです。
さらに、周りからこんな事を言われ続けたのではないでしょうか。

  • 「へこたれずに頑張れ」
  • 「結果を出して見返すしかない」
  • 「この程度で折れる人間は、社会で必要とされない」

大体、こういうことは本当の挫折を知らない大人が言ってきます
自分自身は、運よく精神疾患を経験していなかったり、
自身の成功のほとんどが自分の頑張りの結果と思い込み、周りにも努力を強要したがる勘違い人間たち。
勉強不足と言ってやりたいです。

少し脱線しましたが、
こういう環境では、自分を追い込む姿勢は形作られてしまいます。

自分を追い込む「努力依存症」の闇

悪質な環境に長くいればいるほど、自分は無理を続けないと、ひどい扱いを受けるに違いない。
だから、
自分の尊厳を守るために、イジメられる可能性を少しでも減らすために、追い込んで無理を続けてしまうのです。

問題は基本的に、子供時代の「環境」にある

これはどういう事かというと、
子供時代に、家庭環境や学校・部活環境などに問題があった場合に、過剰努力の心理が生まれやすいと思うのです。
例えばこういった具合です。

  • 家庭で充分に愛情を受けていない
    (虐待はもちろんのこと、親が自分の悩みに共感してくれない、自分に対する態度が侮辱的、など)
  • 学校や部活でいじめに遭っている
  • 先生も助けてくれない
「周りを見返すことでしか、自尊心を守れない」思い込み

思春期になれば「恥」の感情も強くなっていきます。
周りに助けを求めることが、恥だと勘違いし、甘えと誤認してしまう

特に日本社会は、最近は良くなってきましたが、
自分の問題は自力で解決できないのは、「甘え」「情けない」という圧力がかかります。
知識が発展途上な子供にとっては、それが全てになってしまうのです。

子供時代は狭い世界です。
学校と家の往復で、もしその環境に「救い」がなければ、自分で頑張るしかないと思ってしまう。
つまり、自分の尊厳が保障されない前提で頑張るしかない。状況になってしまいやすいのです。

自分の尊厳が踏み躙られる恐怖というのは、大人でも計り知れない。
ましてや子供の場合、そこから脱するのもはるかに難しい。
「逃げる」ことの有効性は学校の授業で教えてくれません

追い詰められた時、「精神論」が登場してしまいます。
問題から逃げずに、己の忍耐で必死に頑張って、周りを見返すしかなくなってしまうのです。

他人に傷つけられるなら、自分で自分を追い込んだ方がマシ

加えて、周りへの罪悪感も拍車をかけます。
つまり、弱い立場になってしまうと、学校や部活でいじめやハラスメントに遭い、でも自分が悪いと思ってしまう。
そうするうちに、
「無能な自分は周りに尽くさなくてはならない」「自分を追い込まないことが周りに失礼」とまで思ってしまいます。
これも頑張りすぎる理由です。

これは自分の実体験で得た感覚ですが、
自尊心を破壊されるより、自分を追い込んで無理を続ける方が遥かに楽です。
狂ったように頑張ってしまうのも、心の防御反応。

自分が「後悔」したくないから、無理をする

「無理を続ける」ことで、一種の安心が得られます。
なぜなら、
これだけ追い込んでいれば、辛い現実を突きつけられ時の覚悟ができるから。

余力を残して努力をしたところで、自尊心が破壊されることがあれば、とてつもなく後悔する。
「もっと頑張っていれば、こんな情けない思いをしなくて済んだのに」

これなのです。
これを実体験で学習してしまっているのです。

健康を害しても、頑張りまくって自尊心が保てるなら、それで良い
うつ病などの精神疾患になってしまう方は、そのぐらい強烈な闇を抱えているのです。

 

私はこの状態を努力依存症と定義しています。
努力依存症にかかるほど、無理をし続けないと不安で仕方なくなる
自分を追い込むのをやめると、自尊心が脅威に晒される。
だから、頑張り続けなくてはいけないのです。

ここまで来てしまうと、深刻な状態になってしまいます。
当然、長期的に無理を続ければ心身を壊してしまう。
しかし分かっていても、無理をやめられないだけの理由があるのです。
そこで、これまでに説明した根本的な原因を踏まえた上で、考えていることを次回以降話したいと思います。